小豆島では毎年10月11日から秋祭りが始まります。
島内の地区ごとに祭りの日が決まっていて、
11日が福田、13日が四海、14日が土庄、
15日が内海と淵崎、そして最終日の16日が池田地区です。
小豆島のお祭りといえば「太鼓台」がハイライト。
赤い座布団を何枚も重ねたような見た目が特徴で、
ここに数人の子どもたちを乗せて
地区の男たちが力強い「かき比べ」を披露します。
ということで、今日の「瀬戸内しまラジ!」放送では
小豆島の祭りの皮切りとなる福田地区、
葺田八幡神社の佐伯壽昭宮司にご出演いただき、
葺田八幡神社および小豆島の秋祭りについてお話しいただいています。
小豆島の祭りの皮切りとなる福田地区、
葺田八幡神社の佐伯壽昭宮司にご出演いただき、
葺田八幡神社および小豆島の秋祭りについてお話しいただいています。
「小豆島の祭りが福田から始まる理由については、
記録が残っているわけでもなくはっきりとはしないのですが、
私が推測しているのは、
延長4(926)年に京都の石清水八幡宮から小豆島の5つの神社に
分霊(わけみたま)を勧請(かんじょう)した際、
その最初が福田だったのではないかと考えています」
そもそも、地区の名前は福田(ふくだ)なのに
神社の名前が葺田(ふきた)なのも、ちょっと不思議ですよね。
そのあたりのことも宮司さんに聞いてみました。
神社の名前が葺田(ふきた)なのも、ちょっと不思議ですよね。
そのあたりのことも宮司さんに聞いてみました。
「その昔、応神天皇が御遊幸された際、
瀬戸内海を船で渡っているところを風で流されてしまって
ここ福田に辿り着いたんです。
それで、地元の人たちが大急ぎで稲を刈ってそれで屋根を葺いて
応神天皇のお泊まりになる建物を作ったと。
それで、田んぼの稲で屋根を葺くということで、葺田ですね。
それが少しずつなまって、福田という地名になったと言われています」
実は八幡神社の名前も、福田八幡神社と葺田八幡神社が混在していた時期があったそうで、
佐伯さんが宮司になられた四十数年前に、葺田八幡神社で統一したそうです。
福田地区の祭りの会場は、葺田八幡神社。
そこに、氏子地区の浜、岡、尾崎、小部、吉田が集まってきます。
そこに、氏子地区の浜、岡、尾崎、小部、吉田が集まってきます。
浜、岡、尾崎は太鼓台を、
小部は今は太鼓はありませんが伝統と各式ある獅子舞を、
吉田は「練り」と呼ばれる薙刀(なぎなた)を披露します。
「獅子舞や練りがあるのが、福田の祭りの特徴ですね」と宮司さん。
獅子舞は小部、浜、岡、尾崎地区それぞれにありますが
なかでも小部の獅子がいちばん歴史が古くて
寛永3(1626)年に最初に奉納されて以来休むことなく続けられています。
「11日の例大祭は、神輿渡御(みこしとぎょ)、つまり、
神様にお神輿に乗っていただき、氏子地域を見ていただく日です。
お神輿は社務所を出発して大鳥居をくぐり、11時に本殿へ入ってそこで例大祭、神事が行われます。
その間、境内では各地区の太鼓台が奉納されています。
昔は4台総がきでしたが、今はみんなで1台をかく形ですね。
それから、お昼をはさんで13時から獅子舞、そして練りの奉納。
最後にもう一度太鼓をかいてから、神輿が出御(しゅつぎょ)してみんなで御旅所(おたびしょ)へ行きます」
神様にお神輿に乗っていただき、氏子地域を見ていただく日です。
お神輿は社務所を出発して大鳥居をくぐり、11時に本殿へ入ってそこで例大祭、神事が行われます。
その間、境内では各地区の太鼓台が奉納されています。
昔は4台総がきでしたが、今はみんなで1台をかく形ですね。
それから、お昼をはさんで13時から獅子舞、そして練りの奉納。
最後にもう一度太鼓をかいてから、神輿が出御(しゅつぎょ)してみんなで御旅所(おたびしょ)へ行きます」
ちなみに小豆島や香川県では、太鼓台やお神輿をかつぐことを「かく」といいます。
大きいものを複数人で持ち上げたり運んだりすることを方言で「かく」と言うんです。
大きい机をみんなで運んだりするときも「ちょっとみんなでかいてー」とか
「そっちかくの手伝って―」とか言います。
ワタシの好きな方言のひとつです🐱
ワタシの好きな方言のひとつです🐱
11日、福田から始まる小豆島の秋祭りは
16日の池田まで続きます。
16日の池田まで続きます。
内海は、細い路地を家の屋根すれすれに大きな太鼓が通る様子、
池田は、海から太鼓が上がってくる「オシコミ」や桟敷前での太鼓かきなど
それぞれの地区に見どころがあります。
この期間中に小豆島を訪れる人は、年に一度の光景をぜひ見て行ってくださいね。



