現在、二十四の瞳映画村の中にあるギャラリーKUROgOで
写真展が開催されています。
写真展が開催されています。
太田昭生写真展
「二十四の瞳」の原風景を求め、瀬戸内への旅
開催中〜4月7日(日)
今日の「瀬戸内しまラジ!」放送では
写真家の太田昭生さんにご出演いただき
瀬戸内の島々を撮り続けてきた活動への思いをお話いただいています。
太田さんは元高校教師。
小豆島や、高松にお住まいの方のなかにも
学生時代にお世話になった人はたくさんいるのではないでしょうか。
小豆島や、高松にお住まいの方のなかにも
学生時代にお世話になった人はたくさんいるのではないでしょうか。
教員として働く傍ら、長年に渡って瀬戸内の島とそこで暮らす人々の暮らしを撮り続けてきました。
「香川県のみならず、愛媛や岡山、広島など
あわせて50ほどの島へ行きました。
どの島でも子どもの姿を見かけることはほとんどなかったです。
島では、子どもというのは本当に宝なんです」
今回の写真展でも、子どもの姿を写した写真も何枚かありましたが
なかには数年前に撮ったものもあり、
今でも同じ状況かどうかはわかりません。
なかには数年前に撮ったものもあり、
今でも同じ状況かどうかはわかりません。
子どもがいなくなり廃校になった学校も壊されずにそのまま残されていて、
それはいつか子どもたちに帰ってきてほしいという願いのようだと
太田さんは話していました。
「私が島を撮り続けるきっかけになったのは豊島なんです。
豊島では1990年11月に兵庫県警が業者を摘発したことで
産廃の不法投棄が明るみになりましたが
その直前、1990年の8月に最初に撮影しました。
豊島では定点観測という手法でも撮影していて、
産廃の不法投棄の現場をはじめ、島の風景や伝統文化などを
同じ場所から撮り続け、
その10年ごとの変化を写真集『豊島30年 産廃からアートへ』としてまとめました」
太田さんの写真集は、太田さん在廊時はKUROgOにて、
それ以外の日は村内のカフェ「書肆海風堂」にて見ることができます。
「その後、平成8年にはじめて大島青松園に行ったんです。
そこでハンセン病の方たちの暮らしや今までの歴史について知り、
この現状を残して伝えていかなくてはと思い
大島にも何度も通って撮影を続けました」
そこでハンセン病の方たちの暮らしや今までの歴史について知り、
この現状を残して伝えていかなくてはと思い
大島にも何度も通って撮影を続けました」
こうして2つの島に深く関わるうち、「では香川のほかの島はどうなんだろう」と興味がわいて
まず香川県の島を撮影して回ったそう。
それを写真集『島が消える』にまとめ、
では次は、香川以外の瀬戸内の島は、ということになって
結果、全部で50の島々を巡ることに。
以後、ライフワークとして瀬戸内の島々にわたり人々の暮らしを撮り続けてきました。
今回の写真展では、そうして撮った写真のなかから
二十四の瞳、学校や子どもたちを想起させる写真を集めて展示しています。
会場の入り口から順を追って見ていくと、最後に出てくるのがこの4枚の写真。
ここは「二十四の瞳」が反戦文学でもあることから
瀬戸内の島に残る戦争の遺構を撮った写真のコーナーで
今回の写真展に合わせて新たに撮ったものもあります。
ここは「二十四の瞳」が反戦文学でもあることから
瀬戸内の島に残る戦争の遺構を撮った写真のコーナーで
今回の写真展に合わせて新たに撮ったものもあります。
ライフワークとして島々を巡るなかで、
島によってまったく雰囲気が違うと強く感じた、と太田さん。
島によってまったく雰囲気が違うと強く感じた、と太田さん。
「たとえば香川県の井島。この島は、島の南部は香川県で北部は岡山県と、
2つの県に分かれてい島なんですが
この島はまったく観光地化していなくて、住人だけがいる島なんです。
船を降りても待合所も看板もないんですよ。
その後に行った、広島県の大久野島は正反対で、完全に観光地化された島。
船に乗っているのもみんな観光客、港の近くには観光客向けのお店がたくさんある。
本当に島によってさまざまなんです。
この島にはどんな人がいてどんな思いで暮らしているのか、
それを知りたいし伝えていきたいですね」
この写真展は4月7日(日)まで。
会期中の土曜は太田さんが在廊しているので
ぜひ撮影の裏話なども聞いてみてください。
知っているようで知らない、瀬戸内の新たな一面が見えるかもしれません。
≪関連記事≫