3月1日に平井兵左衛門氏政追悼供養と平称霊神社祭が行われマシタ。
毎年、池田の庄屋であった平井兵左衛門さんの
命日である3月11日に近い3月初旬、追善行事が行われマス。
地元の方々が墓前を弔い、また神様として祀られた祠で
神事が行われマシタ。
神事が行われるのは、せとうち備讃諸島の石の文化歴史の日本遺産を
構成する国指定民俗有形文化財の池田の桟敷。
正宝五年(1677年)から2年間小豆島は徹底した検地が
行われ年貢が倍増になり、元禄2年(1688年)には
幕府の加子浦の恩恵から外れ、厳しい年貢の取り立てが続いたそうデス。
再三の訴えにも変わらない窮状に平井兵左衛門さんが
正徳元年(1711年)に直訴をしたことで小豆島の人々の暮らしは
守られマシタ。
直訴は当時は極刑に当たるため身を挺して
池田郷を守った英雄として今でも祀られてイマス・・・ってことをデスね
気になって覗きに来たお遍路さんに簡単に説明したふくろうデス。
日本遺産のきっかけとなった大坂城の修築は元和6年(1620年)から
寛永6年(1629年)と聞いておりマス。
その頃は各地の大名が瀬戸内海の島々で石を切り出し
多くの人が小豆島にも訪れていたはず・・・
その50年後には小豆島の人の暮らしが大変なことになっていたかと
思うと歴史の流れに感慨深いものを覚えマスね。
地元の方々が約25年前に伝統芸を作り出そうと始めた
兵左衛門太鼓は、例にもれず今年は中止となりマシタ。
残念ではありマシタが兵左衛門さんの心意気を受け継ぐ人々によって
きっとまた見られる日があるはずデス。
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