2019年06月13日

小豆島のすもものお話

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小豆島ではすももの出荷が始まりマシタ。
現在、発売されているのはハウス栽培のもの。

ハウスでは安全に早く出荷ができるようデスが
今回、フクロウがお会いしてきたのは露地栽培を
されている3名の農家の皆さん。

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八木 孝さん、岡 修さん、岡 泰司さんデス。


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長命草栽培もされている八木さんと岡 修さんの
すももの園地に向かうと

「猿にやられたんやー。」との声。
けっこうな量のすももが食べられ落とされたようデス。

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獣害用に柵を張り巡らせるようになってからは
猪、鹿の被害は減ってきているようデスが、身軽な猿には
かなわないようデス。

路地物の甘いスモモ、よく知っているなーと感心しつつ園地を
見学させてもらいマシタ。

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「この辺りは昔は青りんごの畑やった。」と岡さん。
「すももの前は青りんご、その前は芋。」と八木さん。

「昔はすぐそこに、でんぷん工場があったな。船で運ぶのに
 袋に入れて大変やったわ。」とサツマイモの話をひとしきり。

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ここでもう一人の岡さん、岡 泰司さんが合流してくれマシタ。
「岡先生や。」と八木さんが言うには農協に勤務されていた
岡 泰司さん(以下岡先生)はスモモの歴史にも詳しいそうデス。

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▲鈴なり―

「昭和9年に大根に挿し木を刺してアメリカから小豆島に
 入ってきたのが、よく幸太郎モモと呼ばれているレットスターです。」

藤本幸太郎さんという方が広めたと聞いてイマスと言うと
「近藤幸治郎さんと言う人が藤本幸太郎さんが庭に植えていたのを
 貰って他の農家にも渡して広めたんやな。」とのこと。

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▲間引いたあと

その後小豆島で幸太郎モモとして人気だった最盛期には
当時で1憶7千万円もの売り上げがあったこともあるそうデス。

「接ぎ木で育てやすく、実が小さいうちから甘くなるので
 早く出荷できて、作ったら売れる時代。
 その頃は全国の池田サミットと言うのが1市6町であって
 小豆島のスモモは北海道のワイナリーでワインになってました。」

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「みかんにしろ、先駆的な人が出てきたところなんですよ、池田は。
 米や麦では食べられないとなると園芸栽培したり。」

電照菊なんかも有名デシタねー・・・

「金時にんじんの種を作って日本一にもなってるんやで小豆島。
 小豆島の作物は人と天候の恵み」と岡先生。

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「今はレットスターの木にハニーローザも接ぎ木して作っている。
 ハニーローザも早くに出荷できて、黄色くても糖度は20度は
 あるし、甘いですよ。」と皆さん。

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今年は少し早そうで6月中旬ころには島内スーパーや産直などで
レットスターにハニーローザが見られるようになりそうデス。



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posted by しまラジ! at 06:00| 香川 ☁| ○グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする