2018年02月20日
大阪城石垣と石切丁場シンポジウムA
先日2月10日に開催された、大阪城石垣と石切丁場シンポジウムについて
「270席のシンポジウムに大阪、東京はもちろん北は山形県、南は福岡県まで
全国の方が参加され、申し訳ありませんでしたが入りきれなかった方もいて。」
皆さん勢いがあります!とお話してくれたのは
小豆島町役場世界遺産化対策室、学術専門員の川宿田好見先生デス。
・・・ぬいぐるみに囲まれておりマス。
「大阪城というのは豊臣のイメージが強いですが
現在、私たちが見る大阪城は江戸時代に徳川によって建て直されたものです。」
徳川二代将軍、徳川秀忠の時代に普請が行われ
西国大名たちが石垣の石を切り出し運ばせたんだそうデス。
「まだまだ世の中が安定していない時期、
西の守りとして、また大名たちにお金を使わせる参勤交代の
役割でもあって政治的な意味もある公儀普請であったと言われてます。」
西国大名たちが切り出させた石というのが小豆島はじめ
瀬戸内の島々、大阪城近くの西宮市東六甲などだったんデスね。
「先日前は小豆島の岩谷(いわがたに)の石切を行った丁場が
唯一の国指定史跡だったんですが、東六甲を加えて大阪城石垣石丁場跡と
いう括りで、お仲間が増えたという感覚です。
重要な場所は他にもあるので、これから増える可能性もありますね。」
「大阪城築城という壮大な物語を支えたのは大名たちだけでなく
歴史に名前の出てこない一人一人が頑張ったんです。
岩谷の丁場に行ってもらったらわかるんですが、そこで働く石工さんが
石を割る作業をしていて、ある日突然作業を止めた、そのままが見られます。」
ある程度の石の数などを指定した文書は残っているものの
当時の連絡手段を考えると・・・
「石工さん、もうお仕事おわり!って急に言われたみたいに見えますね。」
また石工さんだけでなく、その食事や衣服を用意し
支えた人たちもいたはずです、と川宿田先生。
「重機も電気もない自分の体だけでどうやって石を割っていたのか
手作業で石を割っていたという話は江戸時代だけでなく昭和初期まで
伝わっていて、ここ最近見られなくなっています。」
この人の中に残る歴史を発掘し子供たちに伝え伝承していくこと
これが現在の考古学者だと伺ったことがありマス。
「岩谷にはいくつか丁場があります。
その中でも、天狗岩丁場、八人石丁場は遊歩道がありますので
当時の石工さんの動きを体感しながら歩いてみてください。」
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