2015年04月26日
第十三回二十四の瞳岬文壇エッセー募集 最優秀賞
「美枝ちゃんがいた窓」テーマ 教室
高山 恵利子 62歳
私は山里の小さな村に育った。出入りの少ない村だから、同級生とは幼稚園から中学三年までの十年を
一緒に過ごす。嫌いとか好きとか関係ない、家族のように避けられない間柄なのだ。
家の場所はもちろん、諸事情も家族の顔や人数も知り尽くしている。
友だちの家の近くを通りかかると、「あれが○○ちゃんの家」と伝え合うのが習慣のようになっていた。
けれど学校からほど近い所にある、美枝ちゃんの家の前に来たときだけは違った。
美枝ちゃんの家の前だけは、誰もが黙って通り過ぎた。
子供心にも、「あれが美枝ちゃんの家」と指さしてはいけないような気がした。
「見て見ぬふりをする」それがいたわりであると思っていた。
美枝ちゃんの家は、悲しいほどに小さなわらぶき小屋だった。
竹藪の前にぽつんとある家は、積みあげられた牧草と見紛うほどの大きさしかなかった。
けれど美枝ちゃんは身ぎれいで、勉強ができた。
赤毛の髪をきれいな三つ編みにして、声も大きく大人びていたから
私たちは美枝ちゃんの家が貧しいことを忘れた。
ただ美枝ちゃんの家の前を通る時だけ、美枝ちゃんの家の貧しさを思い出した。
ある日、下校の挨拶のあと先生が、
「美枝ちゃんは車酔いがひどいので、明日のバス旅行は休みます」
と告げた。
美枝ちゃんは車酔いなんかしない。
けれど本当の理由を問いただせるほど、私たちは幼くなかった。
小学五年生になっていた。先生の苦しい嘘を察した私たちは、美枝ちゃんの家の前を
素通りするのと同様の手口で、知らんぷりを決め込んだ。
実を言うと、私は美枝ちゃんが苦手だった。
美枝ちゃんの細い目は意地悪そうに吊り上がっていたから。
だから本当の理由を問いたださないみんなの知らんぷりが有難かった。
翌日のバスの中は、奇妙な静けさだった。
一枚だけ開け放たれた五年生の教室の窓から、一人残された美枝ちゃんの息遣いまでもが
聞こえてくるような気がした。発車の間際まで、下を向いて教室を見ないようにしていたというのに。
バスの中のざわめきに動揺した私は、堪えきれず顔を上げてしまった。
その一瞬、教室の窓枠の中に一枚の絵のように立つ美枝ちゃんを見た。
その顔が怒っているように見えたのは
美枝ちゃんを置き去りにした後ろめたさのせいかもしれない。
私はとっさに下を向いて、見なかったことにしようと思った。
みな同じ気持ちだったのか、以後誰もあのバス旅行の日の話をする者はいなかった。
五十年後、故郷から遠く離れた場所に住む美枝ちゃんの強い要請で
同窓会が開かれることになった。あの日のことは、知らんぷりすれば良かったのに。
美枝ちゃんは貧乏という言葉を何度も使い、
「先生は(お金がない)と言えない勝気な母ちゃんのメンツを立ててくれた」
と打ち明けた。
美枝ちゃんは目を吊り上げて、貧乏と戦っていたのだ。
美枝ちゃんが教室で一人課題用紙を裏返すと、そこに封筒があったという。
中には先生からの手紙と百円玉が二つ。
どうにもできないもどかしさを、先生は二百円で詫びていたのだ。
初めて知った事実に、宴会場が静まり返った。
あの日一枚開いていた窓は、私たちの知らんぷりを責めていたのではない。
「あたしは大丈夫、いってらっしゃい」と言う美枝ちゃんの意思表示。
「二百円でチョコレートを買って帰ったんだよ」
と言う、ことさら弾んだ声に、涙がとめどなく溢れ出た。
二百円に救われたのは、私たちだった。
知らんぷりは、何も生みださない。
美枝ちゃんは私たちの後ろめたさを解消するために、敢えて辛い昔話をしたのだ。
あの日以来、淀んでいた教室の窓辺の思い出が、サラサラと流れ始めた。
流れる涙は私たちの濃密な十年間の証。
触れることのなかった悲しい思い出は、この時から懐かしい思い出に変わった。
五年生の教室は、壊されて今はない。
けれど教室の窓辺の物語は、小さな村の夕焼けのように、私の心に深く焼きついている。
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