今日、11月8日(日)は石のシンポジウム2015が福田で開催されマス。
戦国演武や石割りの実演もあり参加は自由。
お時間のある方、ぜひぜひ寄ってみてクダサイ。
さて昨日は石のシンポジウム恒例のクルージングツアーが開催されマシタ。
約130名が瀬戸内の石の文化、歴史に興味を持って参加されマシタよ。
小豆島池田港から目指すは丸亀市の本島。
2時間ほどの船旅デス。
今回ガイドを務めてくださったのは
長谷川修一氏 香川大学工学部教授 理学博士
藤田勝代氏 深田地質研究所主任研究員
菅野良男氏 城石垣刻印石研究家クリエイティブ ラボ シェルティ代表
遠藤亮氏 丸亀市歴史研究家
菅野茂氏 丸亀市歴史研究家
長谷川先生からはなぜ備讃瀬戸が美しいのか、ジオの視点から
お話がありマシタ。
備讃瀬戸には瀬戸内火山岩類が多く分布され小豆島のように
標高の高く浸食による造形美が見られる島がありマス。
また噴火の根っこのようなおむすび島
低いところにマグマが流れ込んででいた台形の島など多様性があるそうデス。
さて、向かう本島の歴史研究家のお2人から
本島に残された刻印の入った石について詳しく説明をしていただきマシタ。
危険生物や急斜面など調査に入るのも難しい場所にあるため
見学はできマセンが調査された結果・・・
49か所の刻印石、石を下した石曳き道
石を積みだした波止を突き止めたそうデス。
そしてこれらの石が大阪城に行ったことを示す文献が
本島の人名年寄りの吉田家と
豊前の細川家から見つかり裏付けも取れたそうデス。
本島は少し変わった歴史を持つ島。
織田信長から国内の港全てを行き来できる朱印状が渡され
豊臣秀吉、徳川家康と時の政権をうまく渡り歩いて大名ならぬ人名(にんみょう)が
統治していた島なんデス。
本島、泊港から徒歩10分。
人名年寄りと呼ばれる水軍、船方衆の代表者のような人々が
裁判所の役割として使っていた塩飽新番所に到着。
勤番所の方から説明を受け、見学シマシタよ!
勤番所には朱印状の他に塩飽水軍、咸臨丸までの歴史を感じさせられる
展示物がいっぱいデス。
朱印状の収められた豊島石は火に強いので大事な書面を
守るために櫃として使われマシタ。
塩飽水軍として幕府の海の守りを担った本島。
人名は自治を任せられた船方衆が自ら名乗った名称で
その代表者が人名年寄りとして今でも大きなお墓を残してイマス。
歴史的なお話はもちろん、全ては石。
石のお話で全国に仲間が出来た先生方・・・・伊豆の石ならこの人ですと記念撮影。
本島を離れる際には刻印石の見つかった山を海から見て
終わりかと思いきや!
船はそのまま岡山県の六口島へと向かいマス。
深田地質研究所の藤田先生が「象さん、見に行けるんです💛」と
本島でフクロウにささやいたのは
六口島にある花崗岩が作り出した風化による造形美見学のことデシタ。
瀬戸大橋からはちょうど反対側になって見えないので
六口島に行くか今回のように船で近づくしか見学できない花崗岩。
節理という花崗岩中に見られる割れ目もくっきり。
そして現れた象さん。
六口島にはその昔、魯山人が定宿にした宿があったそうデスが
今では2件の民宿を残すのみ。
象さん=象岩は国指定に天然記念物でもあり
今から300年以上前の文献にも登場していたそうデス。
美しい瀬戸内海、多島美や海の様子を楽しむだけでなく
石、という観点から見てみるのは毎年ほんとうに楽しみデス。
本島には歴史に詳しく、楽しいお話をしてくれるガイドさんがいる
観光案内所が港のすぐそばにありマスのでぜひ、歴史散歩にお出かけしてみてクダサイ。
石のシンポジウム2日目のレポートはまた改めて!
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