2015年07月03日
蒲生遺跡説明会(オリーヴァー)
池田港の近く、2017年に向けて統合高校が建設途中デス。
その工事中に弥生時代から江戸時代にかけての
遺跡、遺物が見つかり香川県埋蔵文化財センターが
7月末までの予定で発掘調査をしてイマス。
先日、6月28日に香川県埋蔵文化財センターによる遺跡説明会が
行われ、島内外から多くの方が訪れてマシタ。
土器の破片などが展示され訪れた方々も
興味津々で見学されてマシタ。
で、ふくろうが気になったのが鎌倉時代の釣り針。
でっかい。
中世にはでかい魚が釣れたのでしょうか。
とかどーでもいいことを考えているうちに説明会が始まりマシタ。
埋蔵文化センターの森さんと小野さん。
「4月から発掘をしていたところ興味深い遺跡がでました。」
早速、見学・・・実は見学した順番は逆なのデスが
説明を受けると第一面、第二面と呼ばれているので第一面から。
第一面(中世〜近世:柱穴5基、土坑1基、塩田関連11基以上)
かん水槽、塩貯めと呼ばれる「かん水(濃度の濃い塩水)」を入れておく施設
・・・だそうデス。
調査区域には少なくとも11基あったと推定されるそうデス。
深さ約90CM、長径は約4,5M。短かい直径が約3,5Mの楕円形。
約800年前の鎌倉時代以降のかん水槽とのこと。
海水を引き込んで砂浜に撒き塩のついた砂をまた塩水で
洗い煮詰めて塩を作っていたようデス。
地面にしみこんだりしないように底、壁面は厚さ約10CMnの粘土で
覆い補強していたようデスね。
この遺構がかん水槽と推測されるのは形状だけでなく
小豆島に残された江戸時代の文献「塩浜稼方書上帳」に描かれた
かん水槽の図と同じ一本柱にかやぶきの屋根をつけたものと同様であったため。
底にある白い石が柱の土台だったのではないかとのこと。
第二面(弥生時代〜中世:柱穴約180基、土坑20基、溝状遺構10条他)
柱穴は直径約50CM,深さ約70CMほどのものが最大。
大変が直径30CMほど。
12世紀後半〜13世紀の土器が出土シマシタ。
大阪の和泉地方で焼かれた瓦器椀や東播磨で焼かれた
須恵器土器、岡山、広島の瀬戸内海沿岸部で使われていた
土師質土器椀、白磁、青磁などの輸入品もあったそうデス。
鉄製品で見つかったのは前述の釣り針。
これらを手入れするための鍛冶作業をしたときの鉄滓が多く見つかりマシタ。
・・・なんか小豆島で今、同じ作業をしている人がいそうなんデスけど。
第二面は未調査の部分もありこれからが楽しみデス。
で!考古学の先生、小豆島にいるやん、と連絡したら出張中デシタ小豆島町地域おこし協力隊隊員の川宿田好見先生。
でも電話で答えてくれマシタ。
「発掘は弁天島古墳のときに
徳島文理大学がしていますが、行政発掘と呼ばれるものは初めてです。」
「蒲生は小豆島の歴史を考える上で重要な遺跡ですが
他にも発掘されていない遺跡も小豆島にあります。」
そーなんデスよね!色んなものが見つかっているという噂は
フクロウも聞いたことがあったんデスよ!
「小豆島では旧石器時代の石器とか縄文時代以降は土器なども。
むとす館に展示してありますよ。」
今回の発掘調査で考古学、古代のロマンに目覚めちゃった人は
ぜひ、安田にあるむとす館にお出かけになってみてはいかがでしょうか。
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