3月8日(日)に池田港近くにある平井兵左衛門氏政の墓前で
追善供養が行われマシタ。
多くの方が列席され、またご近所の方々も集まり小豆島の農民を守り
犠牲になった平井兵左衛門氏政を偲びマシタ。
毎年、3月の最初の日曜日に供養が行われているそうデス。
菩提を弔ったあとは場所を池田の桟敷に移し
平称霊神(へいしょうれいじん)とお名前を変え神様として祀られている
祠の前で参列者の参拝が厳かに執り行われマシタ。
墓前での供養と神様として祀られている平井兵左衛門氏政。
小豆島の方々がとても大切に思っていることが伝わりマス。
・・・と!いつもお世話になってマス!!
井上誠耕園の井上社長の赤い法被姿。
「この法被は夢想会といって24年前に設立された会のものです。
夢想会は兵左衛門の島を守る意思を継いでいこうと
伝統芸能を現代からつくって後世に伝えていくために設立されました。」
池田の桟敷では亀山八幡神社の高尾宮司さんが神事を執り行いマシタ。
池田小学校の子供たちも小さな手を合わせて参拝デス。
その後始まった奉納太鼓。
子供たちから「農民一揆太鼓!」と大きな声が上がりマシタ。
延宝八年から二年にわたって備前足守藩によって
小豆島は徹底的に検地が行われ小豆島では年貢が倍増したそうデス。
元禄二年には幕府の加子浦
(水主役を請け負い地先(じさき)漁業の占有権を認められている場所)
としての恩恵が解除され小豆島の農民たちは窮状に陥りマシタ。
再三の訴えも功をなさず、正徳元年、池田郷の庄屋 平井兵左衛門氏政がついに
江戸に出向き直訴状を勘定奉行に提出。
小豆島は天領ではありマシタが直訴は御法度。
平井兵左衛門氏政は苦しんでいる小豆島の農民のため
高松藩により斬罪獄門を言い渡されマシタ。
池田小学校では総合学習の時間に平井正左衛門氏政について学習。
『兵左衛門太鼓』として太鼓の練習もがんばりマシタ。
指導に当たったのは肥土山農村歌舞伎保存会の佐々木育夫会長。
『お願いします!お願いします・・・お願いします・・』と
直訴状を持っての熱演。
小豆島の人々にとっての平井兵左衛門氏政は自らを犠牲にして
多くの人を救ったヒーローであり、今では神様として祀られる存在。
24年前に伝統芸能になっていく「太鼓」を作った夢想会とともに
いつまでも受け継がれていく大切な心を見せていただきマシタ。
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2015年03月11日
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