2014年11月18日
石のシンポジウム、4年目を迎えて(オリーヴァー)
「考古学では今、パブリックアーケオロジー(公的考古学)
地元に住む人とやり遂げること、継承する人がそこにいること
それがキーワードになっています。」
小豆島町世界遺産対策室 学術専門員の川宿田 好美先生
と4回目を迎えた石のシンポジウムを番組では振り返りマス。
ここでは川宿田先生の思いにも触れてみたいと思いマスよ
「小豆島の石の文化は奥が深い・・・今回は石の文化誕生ということで
色んな時代の石のあり方に着目したんですけど。
その時代の石があり、それを活用した人がいたんです。」
・・・400年前から二つに割るだけになった
岩谷の豆腐岩丁場では。
「小豆島のことを聞いて一度は来てみたいと思い、これで5回目です。
中でもこの豆腐岩丁場の巨大な石は全国的に見ても見事な部類ですね。」
経営コンサルタントをしながら全国を歩くうち刻印にとりつかれたと語るのは
城石垣刻印石研究家の菅野良男先生。
「豆腐岩丁場は元々、福岡黒田藩の丁場。黒田藩というのはいろんな刻印を
使っているんですね。ここでは大きな渦巻き紋を使っていて
大阪城に行きますと西内堀の石丁場にこの黒田家の刻印が使われています。」
お城と石丁場で同じ刻印が使われているのを見つける時が
感動の瞬間だそうデス。
「六甲山に何十件も大名の入った丁場があるんですが
残念ながら現在は宅地化しちゃっていて。
ところが小豆島では今でも石産業が盛んですが手をつけずに残っていることで
唯一の国指定史跡となっています。
全国回ってみてここは文句なく奇跡の石丁場だと思っています。」
現物を見ますと、感動しますよね、と目を輝かせて
とお話してくれマシタ。
悲しいお話の残る八人石丁場では
元大阪城天守閣館長、現龍谷大学の非常勤講師の
中村博司先生にお話を伺うことができマシタ。
「八人石丁場はもともと自然の沢になっていまして
ここで石を切り沢を通って海岸まで運び出せるという利点があります。」
大阪城のどの辺に小豆島の石があるんでしょうか?
「大阪城で西の外堀をよく見ていただくと、この細川の丁場ですとか
田中忠政の丁場ですとか、黒田長政の丁場なんかが残っておりますね。」
「ここでは八人の石工さんが犠牲になってそういうことで
こういう大きな石をそのままにしているのかなと思いますね。」
あとは割るだけとなった巨石のそばで休憩していたのでしょうか・・・
色んな伝説も残っている丁場は遊歩道もついて見学しやすくなってマス。
川宿田先生は
「小豆島の中には18の石丁場、石を採ったところが記録に残っています。
岩谷は軍師官兵衛の息子 長政、忠之の丁場で大坂城普請の石を
運び出した場所です。」
とわかりやすく説明してくれマシタ。
現代の石工さんたちによる石割実演は残念ながら石は割れませんデシタが。
「住民の方々にとって
石丁場が大切な場所として意識されるようになったことが重要なんです。」
「小豆島と言うとオリーブ、醤油にお素麺・・・・
同じ時代に花開いた石の丁場を見るのも面白いかと思います。
天狗岩、八人石跳馬は遊歩道も整備されていますので
マイナスイオンを浴びながらゆっくりじっくり、どうぞ。」
「まだまだ小豆島の魅力はこれから発見されるところです。
ワクワクしていますね。
乞うご期待!!というところでしょうか。」
シンポジウムでは福武ハウスに展示された
現在残る小豆島の石工さんたちの道具などを展示した川宿田先生。
地元の方々の中で日々ワクワクしながら調査を進めてイマス。
「小豆島の石文化、歴史が世界から見てどうか・・・というのが
はっきりすれば、地元の人の興味ももっとスピードアップするはず。」
2016年アジア初の世界考古学学会、国際会議に先生の目は向いてイマシタよ!
<関連記事>
石の文化誕生シンポジウムに行ってキマシタ@
石の文化誕生シンポジウムに行ってキマシタA
石の文化誕生シンポジウムに行ってキマシタB(オリーヴァー)
石の文化誕生シンポジウムに行きマシタC(オリーヴァー)
秋!FUKUTAKE HOUSE@(オリーヴァー)
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック