
4回目を迎えた石のシンポジウム。
大阪城天守閣の元館長の中村博司先生から
「大阪城は豊臣ではなく徳川が作ったこと、岩谷は世界遺産並の
石切丁場と聞いたときは驚いた。」
とこのシンポジウムを始める契機を語る小豆島町、塩田幸雄町長。

「徹底的にアカデミックに学究的に追求すること
そして、会場には旧福田小学校を使うことそれ以外はスタッフに任せたんです。」
まずは、毎年恒例の雨の中(なぜだ?)ジオサイト探訪に向かう皆さん。

最初に訪れたのは『豆腐岩丁場』
「小豆島に刻印のある残石があると聞いてここへ一人で来た時に
地元の方と知りあったのがきっかけ。」と
城石垣刻印石研究家の菅野 良男先生

岩谷周辺にある石切丁場跡は他県に類を見ないほど保存状態の良いそうで
石切丁場としては唯一の国指定史跡デス。
筑前黒田藩が開いたこれらの丁場には様々な刻印(黒田藩の印)が
掘られてイマス・・・大阪城にも同じように刻印がついた石があるそうデスよ。

豆腐岩丁場は遊歩道のできた天狗岩から福田よりにありマス。
途中までは舗装されてイマスが足場の怪しい所もありマスので
お出かけの際はお一人では行かないことをおすすめシマスよ。
さてそこから徒歩2〜3分で「八人石丁場」に移動。

元大阪城天守閣館長の中村 博司先生デス。
「この丁場の石はよく見ると上の方に矢穴跡があり、割るだけになっていたところ
石の下で休憩していたんでしょうか・・・八人の石工さんの上に割れて落ちた
という話が残っています。」

こちらはきれいな遊歩道が付けられて見学しやすくなってマスよ。
八人石のある場所の下は沢と海。
沢を利用して海まで切り出した大きな石を運んだのではと考えられているそうデス。

さて、次に訪れたのは現代の石切丁場「湊総業 株式会社」
おお。マッシーンで!?と思ったら
なんと石の目を読む石工さん三名が玄能片手に約6tもの石を
ウバメガシの矢を手彫りの穴に打ち込んでおりマシタ。

残念ながら雨もたたって割ることはできませんデシタが
昔ながらの方法で石割に挑戦した地元の石材屋さん。
そして、割れろ!と願うギャラリーの中には地元の方々も。

歴史ある石切丁場の町、福田では地元住民の方々が
現在も石に関心が深いことが伝わってキマシタ。

石に穴を開けるのは今では機械を使うそうデスが
昔は、穴を開けるためのノミや、現在も使用する玄能、そして矢と言われる
穴に打ち込むためのものは全て石工さんの鍛冶仕事。

日に何本か玄翁で打ち込んだ矢はすぐに使い物にならなくなるので
まとめて、石割のない日には鍛冶仕事で直して使っていたそう。
クルージングで見学した古墳時代から時代を遡って現代まで。

最後のシンポジウムには300名を超す参加舎が集まりマシタ。
2日間かけて見学してきた各時代の石の文化。
そしてそれに関わる人々は脈々と今もこの小豆島で息づいてイマス。

フリーディスカッションでは次回2015年に向けての
新しい取り組みや今後の課題などが話し合われマシタ。

「世界遺産化のこの取り組みは
ゴールとしてユネスコにたどり着くかもしれないが
瀬戸芸と同じく海の復権を、そして小豆島を含む瀬戸内海の石の文化を
世界に残すことだと思う。」と塩田町長。

地元の人たちと研究者が親しく交わりともに
大切な文化を知り、守るこの石のシンポジウム。
「来年の打ち合わせも終わってますのでどうぞ参加してください。」

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