最後の目的地「水ノ子岩」に到着・・・といっても危険なため
本来は船は近づかない場所デス。

水ノ子岩は小豆島町の岩谷『かもめ石』のある付近の沖合。
座礁岩と言われ、付近の海底は手前が浅く奥が深く・・・と
船が避けて通れるよう小さな灯台もありマス。

この水ノ子岩の海底からは昭和52年に
南北朝〜室町初期の古備前焼などが難破船の遺物として発見されマシタ。

現在ここを調査しているのは
同志社大学文化遺産情報科学研究センターの津村 宏臣先生と
研究センターの皆さん。

跳馬から切り出した石を運ぶなら、本来は岬のように海に
突き出した場所が便利なはずデスが・・・
「岩谷は弓なりの地形で入江になっている。
調査すると離岸流という潮の流れがあることがわかった。」

「その離岸流にのって沖合に出て行くと
その先に座礁ポイントである水ノ子岩があります。」

ダイビングによる調査が続けられてイマスが
「夏は透明度が低く冬の調査になり、また日に30分ほど
潮の流れが止まるタイミングでないと難しい。」
と、調査の苦労話も聞かせていただきマシタ。

「この島での石材業には、石の目を読む石工がいたように
潮の目を読む人がいたのでは、と思われます。」
「それは塩飽水軍かも知れませんね。」
津村先生がたは大阪湾までの航路の再現を目指してイマス。

オリーヴァーが本島に塩飽水軍についての取材をした際
『塩飽水軍はその時の権力者(織田ー豊臣ー徳川)の
朱印状があったので大阪湾に入ることができた』
と教えて貰いマシタ。
幕府の号令で大名が石を切り出し運ぶにあたって
瀬戸内海を自由に行き来する塩飽水軍に目を付けなかったとは考えにくいなあ
とふくろうなんかも思うわけデス。

良質な石材の宝庫、美しい瀬戸内海(晴れていたらもっと!)
クルージングツアーを終えて2日目は、今なお残る
小豆島の石切丁場の見学に向かいマス。
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※塩飽水軍についてはこちらから