さて石文化誕生シンポジウム、クルージングツアーの続きデス。
坂手と三都半島の間の沖合いから向かうのは千振島。
約1時間半の長い航海となりマシタ・・・
「先生方が面白いお話を!」との無茶ぶりに答えてくれる先生方。
小豆島を外から眺めながら地名や採石場、歴史のおはなしをしてくれマシタ!
クルージングツアーは2艇の船に別れ120名が参加シマシタ。
さて土庄町小江地区の沖合約1KMに千振島が見えてキマシタ。
土庄町町誌に明暦3年の文書を引用して
『大阪城普請のとき、黒田筑前がちぶりで採石した』と記載されているそうデス。
平成4年の調査では海岸に20本近くの矢穴跡のある
残石を確認したそうデス。
この地域には残石記念公園があり細川護煕氏が手ずから割った石も
みられるようデス。
千振島から更に船は進み、次に見えてきたのは
陸上から行くことが困難な小豆島町の亀崎丁場。
昨年は亀先丁場にあるものに近い「コアストーン」を
岩谷の海岸で見学シマシタ。
石の性質のことならお任せ・・・オリーヴァーのお隣で
ふくろう写真を撮りまくってくれた、深田地質研究所の藤田勝代先生。
コアストーンと呼ばれる硬い石ができるのは、花崗岩の特徴なんだそうデス。
花崗岩が風化して顕になったコアストーンが
石切の技術ができる前には石材として使われていたそうデスよ。
亀崎丁場の前に見学した場所では花崗岩ならではの
縦方向の節理が波の侵食で削られ洞窟のようになった場所もありマシタ。
さて、亀崎丁場にこれだけのコアストーンが残されているのはなぜか?
採りやすく運びやすい海上にあって
この場所のコアストーンが残されているのはこの場所に弁天様が祀られて
いたことが、近隣の方への聞き込み調査で分かったそうデス。
現在はダイナマイトで大きな石を取り出し
技術の発展で石を切り出すことができマスが
その前はこういった自然に現れたコアストーンが
様々な用途に使われていたんだそうデス。
さてクルージングツアーもそろそろ終盤。
小豆島の石がどのように大阪まで運ばれたかを実証するため
研究を続ける同志社大学のメンバーが作業中の水ノ子岩へ向かいマス。
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