11月8日(土)石の文化クルージング・ジオサイト探訪
11月9日(日)ジオサイト探訪とシンポジウム
今年で4年目、また新たなジオサイトを訪れることができマシタ。
2日間にわたる『石の文化誕生シンポジウム』
あまりに盛りだくさんデスので何度かに分けてご紹介させてクダサイ。
まずは1日目。
11月8日(土)石の文化クルージング・ジオサイト探訪より
『弁天島古墳群』
草壁港から出発したクルージング船は小豆島東部の
三都半島と坂手半島の先、内海湾の最奥部にある弁天島に向かいマス。
小豆島には弁天島と呼ばれる小島が多くあるんだそうデスね!
ふくろう、ふるさと村の沖合の島しか知りませんデシタ!
小さな可愛らしい島、弁天島。
なんとここには1999年に徳島文理大学の考古学的調査で
積石墳墓1基と箱式石棺5基が確認されたそうデス。
写真奥
このお話をしてくれたのは
兵庫県立考古博物館館長の石野 博信先生。
現在、この古墳については保護のため
花崗岩が積まれて姿を見ることはできませんデシタ。
調査の結果、箱式石棺周辺からは須恵器
(すえき:古墳時代〜平安時代まで生産された陶質土器)などが、
また積石墳墓とされる墳丘墓周辺からは
複数の土師器片
(はじき へん:古墳時代〜奈良・平安時代まで生産された素焼き土器の欠片)
が発見されているそうデス。
箱式石棺はどれも島外の石を使っているんだそう・・・不思議デスね。
によると「波打ち際にあり、波にさらわれそうな場所」にあるそうで
「古代の海の人が海に溶け込むことを期待していたのでは。」とのこと。
また、土庄町文化財保護審議会の中村 利夫会長も
保護をする際にも近隣の漁師の方が『流されることを望んでいるのでは』と
語ったことを教えてくれマシタ。
長崎県の五島列島に5世紀〜6世紀に同様の古墳が見つかっているそうデス。
三都半島では昨年のジオサイト探訪で地下マントルが直接地表に流れ出て
冷え固まったマントル直結安山岩を皇子神社で見学シマシタが
写真のトンネル付近(蒲野〜神浦)の山の上でも確認されているそうデス。
遥か古代の海に生きた人々のことを思い出してみてクダサイ。
クルージング船は三都半島沖合から千振島へと向かいマス・・・つづく
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