風向さん企画の「西の島勉強会と島交流 第二弾」
講師は咸臨丸子孫の会 中西史和氏
なんとも有名人続出の咸臨丸の歴史デス。
ところで根本に立ち返って・・・塩飽ってどこからどこまで???
「東が今の瀬戸大橋周辺の島々・・・坂出市の瀬居町、沙弥島(どちらも元は島)そして西は多度津町の高見島、志々島周辺までです。」
「東の島々との大きな違いは、小豆島、男木島、女木島などそれぞれ別の島として
成り立っていますが、塩飽諸島は大きな親戚の集まりのようなものなんです。」
いわゆる塩飽水軍というのは12の島々が関わった水軍。
古くは倭寇、村上水軍との戦いにまで遡って、
連合自治体、ネットワークが出来上がったようデス。
さて、咸臨丸デスが、
和平条約のためのアメリカ往復の際にかの勝海舟が色々やらかしてマシタ。
奇行で有名な方デスが、まず咸臨丸に乗船前に身を清めるために
水ごりをしたそうデス。
この時に流感・・・インフルエンザ・・・になり
咸臨丸乗組員に移してしまったそうデスよ(駄目)
またサンフランシスコ入港の時には「勝 家」の家紋の旗をかかげようとして
止められたんだそうデスよ(ダメダメ)
その後、咸臨丸はオランダへの留学生の運搬・・・
そして最後は戊辰戦争で現在の北海道へ・・・そのまま沈没してしまうそうデス。
華やかな歴史とともに、瀬戸内海の島々を一躍、歴史の表舞台へと運んだ咸臨丸。
勉強会参加者のみなさんから次々に質問が飛び出しマシタ・・・つづく
<参考記事>
塩飽水軍まとめ(オリーヴァー)
西の島勉強会@(オリーヴァー)



