
先日、22日。高松市丸亀町「まちのシューレ963」で
風向さん企画の「西の島勉強会と島交流 第二弾」が開催されマシタ。

FM香川パーソナリティー、中井京子サマに
「島、西の島。オリーヴァーも行く?」とお誘いを受け
勉強会に参加してキマシタので不定期連載、オリーヴァーのお勉強の成果デス。

テーマは「咸臨丸の子孫が語る咸臨丸の生涯」
講師は咸臨丸子孫の会 中西史和氏
中西氏は直系のご先祖様に咸臨丸の乗組員がお二人いらっしゃるそうデス。
ちなみにこの咸臨丸子孫の会。
正会員になるにはご先祖様に咸臨丸の乗組員がいたことが条件。

ちなみにジョンレノン、オノヨーコも正会員だそうデス!
オノヨーコさんのご先祖はなんと乗組員と言いマスか
軍艦奉行 木村摂津守だそうデス。

咸臨丸が造られたのは1853年、ペリーが浦賀沖に入ってきて
当時まで禁止されていた海外へ軍艦の発注がようやく行われマシタ。

咸臨丸が造られたのはオランダ。
最初の名前は「ヤポン」・・・そうデス。ジャパンのオランダ語読みデス。
造船後は長崎に停留されていた咸臨丸デスが、江戸に軍艦鍛錬所ができると
江戸へと移されマシタ。
・・・坂本龍馬も通った鍛錬所、だった筈デス(オリーヴァーの灰色脳の記憶)

勝海舟、通訳のジョン万次郎とともに乗船した水夫90名のうち35名が塩飽水夫デシタ。
「実は、初めてのアメリカ行きとあって後継ではないものを差し出した、という
記録もあるようです。」
子孫の会ならではのマル秘なお話、まだまだ続きマス。
<参考記事>
塩飽勤番所・・・幕末編(オリーヴァー)