最初、武力を持った村上水軍の配下だったところからスタート。

1576年:第一時大阪湾木津川口の戦い
織田信長は毛利方の鉄甲船にやられて負けてしまいマシタ。
同年:11月6日、塩飽水軍は織田方、村上水軍は毛利方に。
生き残り繁栄したのは織田方についた塩飽水軍デス。
・・・朱印状を貰い自治領としてある意味独立した塩飽水軍。
(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、それぞれから貰ってマス)

1600年:関ヶ原の戦い
塩飽水軍、実は徳川方と豊臣方の両方に人名を送り込みマス。
豊臣方についた人名の代表(年寄り)は入江四郎左衛門。
未だにお墓が別の場所にひっそり(と言ってもデカイ)と建てられてマス。
徳川時代は独占企業のように繁栄を極めマス・・・が
1716年〜1745年:享保の改革
8代将軍徳川吉宗が打ち出した財政改革デス。
海を独占していた塩飽水軍、安い賃金でしか働けマセン。

転機を迎えた塩飽水軍・・・水軍としては幕末まで影を潜めてしまいマス。

1858年:アメリカ軍艦ポータハン上で日米修好通商条約が結ばれマシタ。
その後、勝海舟らとアメリカに向けて咸臨丸が出航シマス。
もちろん水夫のほとんどは塩飽水軍の皆さん。
1862年:徳川幕府が初めて海外へ留学生を送りマス。
こちらも水夫は塩飽の皆さん。咸臨丸で現在の香川県に寄港シマシタ。

明治〜大正と時代が移ると幕軍であった塩飽水軍は散々になってしまいマシタ。
本島、塩飽勤番所では当時の朱印状を間近で見ることが出来マス。
歴史に詳しいガイドさんもいらっしゃるので瀬戸内国際芸術祭で
訪れた際には、歴史にも触れて何倍も楽しんでクダサイ。