2012年10月01日

亜米利加に向けて(オリーヴァー)

安政七年、品川沖を出航し、横浜で石炭をつみ(浦賀にも寄ったそうデス)
真冬の太平洋へ出た咸臨丸

本島1 011_R.JPG(写真は穏やかな瀬戸内海)

まあ、いくら航海術を学んだからといって
いきなり太平洋で困らないはずもなく。

本島1 020_R.JPG

行きはアメリカ海軍ブルックさんと部下、10名が同船
ずいぶんと、助けていただいておりマス。(有名なアノ漫画の骸骨ではないデスよ

本島1 201_R.JPG(もちろん咸臨丸ではアリマセン)

助けていただきながらも、さすがというか・・・冬の太平洋。
半端なかったようでございマス。

まさに波に飲まれるが如くの虫舟・・・。

破損した咸臨丸は3月24日、メーア・アイランド海軍造船所で修理されマス。
修理の間、一行は西洋文化を満喫・・・見聞を深めマシタ。
持ち帰った食器などが、本島、塩飽勤番所に展示されておりマス。

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安政七年、三月二十四日(陰暦3/3)は奇しくも「桜田門外ノ変

江戸で大老井伊直弼が水戸、薩摩の浪士に暗殺された日デシタ。
激動の時代デスねー

8 11 12 004_R.jpg

この航海で、3名の水夫が亡くなっておりマス
過酷な航海、熱病の蔓延・・・。
三名は、現在サンフランシスコ郊外の墓地に眠っておりマス。

帰路はほぼ日本人だけでの航海
塩飽水夫、腕の見せ所デシタでしょう。
ハワイを経て6月23日に浦賀に帰ってまいりマシタ。

本島1 213_R.JPG(咸臨丸ではないってば)

瀬戸内の西の要所として、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康から朱印状を受け
藩に属さず自治国家として300年以上続いた塩飽水軍の島。

本島1 174_R.JPG

幕末に大輪の花を咲かせたのでありマス。


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posted by しまラジ! at 16:00| Comment(0) | ○歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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