2012年06月11日

大昔の小豆島に思いをはせて(ニーナ)

応神天皇船繋松跡(おうじんてんのう ふねつなぎまつ あとち)」の碑が立つ土庄町淵崎の双子浦。
この双子浦と呼ばれる丘にはたくさんの古墳がねむっています。
史跡の富丘古墳群といって島内では1番たくさんの古墳が集まっているところなんですよ。

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山頂にあるのは4世紀末の古墳といわれ、石棺や鉄剣、鉄刀、鉄鏃(鉄製のやじり)などが出土しています。
4世紀といえば1700年くらい前のお話
まだ、鉄が珍しかったこの時代に鉄製のものを使えるのはかなり力を持った人物だと考えられるそうです。小豆島にはそういった力を持った権力者が住んでいたんでしょうか?

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先日、ずっと島を離れていた出土品が瀬戸内歴史民俗資料館から富丘八幡神社へと返却され、神社の氏子さんから土庄町に寄贈されました。

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「これから、この貴重な出土品はみなさんに広く披露して、永く伝えて行きたい」と、
土庄町社会教育課藤本課長はおっしゃっていました。
出土品は整理された後、町内で展示されるそうですよ。

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県内でも出土例が少ない爪形の鉄鏃や大きな鉄剣や鉄刀。
ほんとに爪の形、そっくり!

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1700年の時を越えて、こうやって見ることができるなんて不思議な気分になります。

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山上にある富丘八幡宮の社務所からは海がとってもよく見渡せるんですよ。

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その昔、ここは海上を通る船を見張っていた海の関所だったのかも知れないなあ。

海賊を取り締まっていたのかもしれないな。
なんて、ニーナも想像してみましたぴかぴか(新しい)

たった一つの鉄刀からも、いろんな推理や想像ができます。
むかしむかしの小豆島はこうだったのかもしれない。と、いう話は尽きることがありませんでした。
ニーナはお話を聞いているだけで、わくわくしてきて、探検に出かけたくなってしまいました。056.jpg

瀬戸内の小さな島の小豆島。
まだまだ、知られていない歴史がうずもれているような気がしませんか?
夏休みは小豆島で秘密を探してみるのも、楽しいかもるんるん




















posted by しまラジ! at 08:00| Comment(0) | ○歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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